今回は、東日本大震災から6年経った東北の地を視察してきました。
忘れてはいけない風化させてはいけないその思いで
1泊2日の弾丸の旅でしたが、今の状況を確認してきました。
まず、埼玉から新幹線に乗り盛岡駅まで行き
レンタカーを借りて釜石市から南へ下り南三陸町まで行きました。
その後仙台駅から新幹線で埼玉に帰ってきました。
まずは、全行程にわたり海沿いの大津波の被害に遇った、地域は
非常に高さのある防潮堤が建設されていました。車中からは、海が見えないくらいの
高さで厚みも30~40cmはあり大津波の猛威が計り知れないものだと感じました。
国道45号線をひたすら車を走らせました。その間、祝日ではありますが
大型ダンプが何台も何台も行き来しながら
砂ほこりをあげながら、復興に向けて行き来してました。
津波被害に遇った地域はその45号線から海岸線の間については、工事関係者しか入れない状況で、盛土がかなりして
あり区画整理が進んでいましたがれきなどは無い状況ですが、まだ民家はほとんどなく、仮設住宅ばかりが目立ちました。
工場や事業者の方の建物は少しずつ復旧して操業されていましたが、まだまだ先は長いなと思いました。
国道45号線では、ここまで浸水しました。海抜30mの場所でもその表示があり、ところどころに前後何m浸水したかの
表示がされておりいつ何時に津波が来ても避難できるように対策がされていました。
甚大な被害をもたらした大津波からの復興はまだまだかかりますし、その地域の方が安心して住めるまでは、まだまだ
かかるなと感じました。少しでも何かできることがあれば実行しようと思います。
また線路や駅もナビで表示されていましたが、そこには線路も駅もありません当然町の区画も表示されてましたが
ありませんでした。またおそらく鉄の橋だった部分もなく
その橋脚のコンクリートのみが残されていました。ただその横では高さも2倍以上で、橋脚となるコンクリートも倍以上の
大きさのものが建設されていました。そのためコンクリートを練るプラントが多数みられました。
フル稼働でやっている方々に頭があがりません。
また今後も時間を作りいろいろ足を運んでいきたいと思います。